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秋でもないの誰もいない海

 投稿者:鯉太郎  投稿日:2009年 6月16日(火)17時15分6秒
編集済
  状態なので写真を投稿してみましょう。

今年のトマトです。
葉に枯れが入り始めたので心配です。
最後まで育ってくれるでしょうか。
当地ではトマトの悪い病気がはやり初めて3年になります。
見つからないように庭に植えたんですが、ウィルスめ、ここまでやってきたのでしょうか。

写真投稿が上手くできない。残念!
 
 

N先生を偲ぶ会

 投稿者:A.S.K  投稿日:2008年 7月20日(日)23時32分17秒
  大学卓球部草創期の面々主催の、N先生を偲ぶ会が本日7月20日午後に京葉銀行文化プラザであり、出席してきました。
二十数名の会で、昭和41年卒の現監督(教官宿舎時代にG領先生とお隣り合いだった工学部教授で来年退官というお歳)、44年卒のA.S.K連れ合い、50年卒のA.S.Kの三人が若いほうという具合でした。
昭和30年前後の卓球部やN先生の写真、またN先生が晩年も参加なさったOB会旅行の写真などがたくさん飾られていました。

N先生の奥様をお迎えし、また創部の頃からの顧問であった体育学のM元教授86歳と夫人77歳もお出ででした(Mご夫妻はA.S.K夫婦の結婚媒酌人でもあり久方振りのご挨拶の機会)。

N先生の奥様とA.S.Kとは年齢差17年ですが、N先生からお聞きしていた情報である高校同窓ということだけでなく、中学も同窓、住所も近かったことが判りました。
その出身高校が高校野球予選で昨日負けちゃったと、奥様は残念そうに教えてくださいました。

学生時代、この「サイコロ」の仲間や先輩・後輩たちがN先生の研究室で豊かな時間を過ごす様子を垣間見させてもらったものです。
そのお仲間たちが今でもN先生宅に集ってこられると奥様が話していらっしゃいました。
O先生のお祝いの会にも出席なさったそうですね。

N先生の奥様からの記念品に添えられた詞書には、N先生にとってOB会は「心身を開放できる拠り所だったのでしょう」と書かれてあります。
いろいろな繋がりをあらためて思った本日の会でした。

T井さん
Y中さんの禁煙成功情報は朗報でした。こちらからもよろしくとお伝えいただければ嬉しいです。
Y田さんも元気にしていらっしゃるといいと思います。
 

千葉勢がんばってますね

 投稿者:A.S.K  投稿日:2008年 3月25日(火)20時10分34秒
  安房高、千葉経大付属高、ともに1勝しましたね。

大学卓球部が来年2009年に創部55周年とのことで同期と連絡を取り合っていますが、そこで「安房高校甲子園初勝利おめでとう」と言ってもらいました。

長い間、野口先生が監督をしてくださっていた大学卓球部は、1954年=昭和29年創部という計算になります。
野口先生は昭和32年3月に学部卒業とのことなので、学部2年生の時に創部?!
先生が大学の助手~講師となられた頃の、数年後輩の方々が中心になって記念行事を計画してくださるそうです。
 

安房校が選抜出場

 投稿者:鯉太郎  投稿日:2008年 2月12日(火)22時04分21秒
  21世紀枠で選抜出場ですと。

ふーん、初めてだよね。
野球は見ないけど、頑張ってね。
 

四国一周

 投稿者:鯉太郎  投稿日:2008年 1月28日(月)12時04分45秒
編集済
  ASKさんの旅行記を読んで、私は大学1年の時の四国一周サイクリングを思い出しました。春休みの一週間ほどだったと記憶しておりますが、石鎚山系が雪に染まっていました。宿毛~宇和島間は国道56号を走ったんだろうなあ。金比羅さんの奥社までの階段を上りました、当然です、若かったから。高知城・宇和島城・松山城にも行ったはずですが記憶にありません。高地から大歩危小歩危方面に回って吉野川沿いに徳島におりていきました。途中池田高校があったりして。徳島から千葉港までフェリーがありまして、往復フェリーで移動したんですよ。

美味いもの?貧乏旅行なので、うどんを食ったくらいでしょうか。
 

連れ合いの引退記念旅行

 投稿者:A.S.K  投稿日:2008年 1月24日(木)20時27分55秒
  半年ほど時期が遅れましたが1月中旬に、私の比較的気楽なアルバイト仕事でもめったにない4連休ができたので、連れ合いの引退記念旅行を急遽仕立て行ってきました。

連れ合いが行ったことのない四国の3泊4日。
早くに手配すれば飛行機利用でけっこう安い旅行があったのですが、いつでも何とかなるよという本人に任せていたら、結局前日手配で新幹線と四国周遊キップ利用のになりました。
まあ羽田まで早めに行くのと東京駅までそこそこに行くのと時間的にはたいして変わらないかというのと、本人が飛行機はあまり好きではなく私も馴れていないから、鉄道で気楽だったかも。
ここ何年か読みさしのままだった"Anne's House of Dreams"を携えて読み進みました。

金比羅さんでは、20年前に私が卓球遠征のついでに母・息子・娘と訪ねたときを懐かしみました。
連れ合いが極端な釣り橋恐怖症なので、有名な大歩危・小歩危のあたりは通り過ぎて高知駅近くのビジネスホテル泊。旨い物めぐりがお目当てでもあったので陽暉楼別館だった料亭で会席料理を食べ、はりまや橋(堀を挟んだ豪商同士をつなぐ小さな橋だった!)を見つけるのにちょっと苦労し…。

四万十川には行かなければと、2日目の朝のうちに高知城を訪ねただけで、足摺岬方面の中村までまた鉄道の旅。
平日なので船下りの遊覧船は二人の貸切。解説がゆっくり聞けました(われわれのすぐ後に到着した観光バス3台のお客さんは他の2隻に分乗のよう)。
かの(?)アカメ館で四万十ノリの天麩羅や天然ウナギやアユを堪能。
中村駅までタクシーを頼もうかと考えていたら、遊覧船を操縦してくれたお兄さんがついでがあるからと車で送ってくれて「また来て」と言ってました。

足摺岬には行かず、中村から3セク「くろしお鉄道」も経由して宿毛まで。
ここからは私がレンタカーを運転!
2泊目は国民宿舎「椰子」。全室が宿毛湾に面して、だるま夕日は雨で見られませんでしたが、漁船の出入りなどがゆったりと眺められました。

宿毛と宇和島の間を直接行きかう鉄道は無し。
世論調査の仕事をしていた時、高知支局では中村・宿毛方面、松山総局では宇和島方面、それぞれ調査地点としては勘弁してほしいと言っていた、そんな場所であることを実感。

宿毛~宇和島間の国道56号はのどかで、車もvitsだったので無事完走。
前後数台の車列に軽自動車も多いのだけれど、流れに乗っていると時速50km制限のところでも70~80kmくらい出てました(燃費効率は約15km/l)。
途中の宇和海海中公園の観光遊覧船も貸切。小雨模様で珊瑚の海の透明度が低かったのが残念。

ネット検索してあった宇和島の旨い物店はスローフード系で近所のサラリーマンがお昼を食べに来るようなところ。すぐ傍には「高野長英居住地跡」。
ひとまずその前は通り過ぎて、宇和島城が近くらしいからと山道に。
他に一人、二人の観光客?がいるくらいのひなびたところでした。
松山への電車の時刻が遅くならないようにと、スローフード(候補は鯛ソーメン)をパスして美味しいパンでもとベーカリーを探したところやっと駅横で発見。

午後3時ごろ松山に到着してから観光案内所で市内地図をもらい、アウント・ステラの喫茶室(私は東京-都下?-では売店しか見たことがなかった!)に入って行き先を選定。
路面電車を使って松山城と道後温泉本館を見物。

3泊目は連れ合いがネットで調べて料理の評価も高かった伊予市の「花の森ホテル」なので、松山から伊予まで電車で戻ってからタクシーに。
タクシーで数分とか聞いていたらしいけれど、走ること30分? 最寄駅が違って(中山栗の)中山からの話! 合併で伊予市に入った中山町でした。
山の中腹の建物で「地域交流促進センター」とありました。
小諸のサイコロ旅行で泊まったサンピア(?)のように地元の家族が温泉に入りながら利用している雰囲気も。レストランでの結婚式も宣伝していました。
地元民がこぞって高評価をネットにupしてるんじゃない?とは私から連れ合いへの冗句。
でも次の朝、建物の全貌が見えたら可愛らしいプチホテルという感じ。料理も工夫していました。地元の若者などの就労場所にもなっているかな。

4日目はすっかり鉄道の旅。中山から松山まで約30分、松山から岡山まで約2時間半、岡山から東京まで約3時間半、東京から我が家まで約1時間、でした。
岡山での駅弁(ままかり)は往路に試し済みだったので、帰路の昼食は中山で買った栗寿司ほかのお弁当。アオノリをまぶしたオハギも。無人駅を利用した地元のおばさんたちの産直でした。

帰宅は夕方5時頃。連れ合いは吉祥寺駅近くのスポーツジムにちゃんと寄ってから、買い物をして来て家で夕食の調理に腕をふるってくれました。感謝!

長々でしたが、遠征がらみの旅が主だった私がサイコロのおかげで旅行の楽しさを知り、こんな経験をupするようになりました。
(金比羅さんの奥社までの階段上り、高知城・宇和島城・松山城の城巡りと、やはり「体育会系」旅行ではあったか…。
私の仕事があった日に夜行バスに乗れば鳴門観光もできそうでしたがそれは連れ合いが敬遠して、徳島県には行けませんでした。)
 

「現代労働事情」ばっかりでもない?(「鵜匠」に代わって)

 投稿者:A.S.K  投稿日:2008年 1月24日(木)18時12分26秒
  この頃出没する落書きは、管理人氏に削除してもらうとして…

半年前の書き込みの頃、運送会社のフルタイム勤務をしていた息子は、試用アルバイト期間を満了しましたが継続しませんでした。
近所の大手セキュリティ会社の下請けか、重量級金庫を設置する業務の助手として関東周辺のほうぼうに車に乗せられて行っていたようです。
無駄に?ヒマなのがイヤだなどと言っていました。往復の車内とか待機時間のこと?
年末からは自転車通勤できる大手スーパーの精肉部門で働き始め、身分はアルバイトのよう。
私がアルバイトしている介護職場の正規職員ばりのシフト勤務状態で、ずーっと都合のいいアルバイトのまま?身分保障は?と気にはなりますが…。

娘はすでに20歳過ぎからアパート暮らし(独り暮らしとは言いにくいかな、だいたい常に彼氏がいて早や4人目!)で、パチンコ屋やマージャン屋のアルバイトのあいまに時間があれば油絵を描く生活でした。
マージャン屋では、面子が足りない卓に入ると負けも出て給料から引かれ手取りが少なくなる、という具合。
さすがにこのままではいけないと思ったのか、イラストレーターをめざせるような仕事につきたいとアルバイトを辞め、志望業界の基礎知識習得に励み始めました。
父親(私の連れ合い)が印刷業界にいたので、今の時代では必須のデジタル処理のことなどを習いに、これまでになく足繁く当方に通っていました。
(娘に教えるのではお金は取れない!)
出世払いでMacパソコンを買ってもらいアパートで使い慣れることにしてからは、トンと姿を見せなくなりました。希望の就職を果たすまでの生活費借金も取り付けて。

二人とも(中退してしまった)大学入学時からの費用は、厳しく「貸与」にしておくべきだった!
一応は「返してよ」と言ってあるものの、返済はいつのことになるやら。

ところで連れ合いいわく、自分が鵜飼の鵜匠で、鵜が3羽(私と息子と娘)。
餌やり(技術・資金提供や当家での食事作り)をしてやるから鵜はせっせと働くのだよ、と。
しかし3羽の鵜とも、やたら餌を食べるわりに働きぶりがいま一つかも…。
 

削除

 投稿者:鯉太郎  投稿日:2007年12月22日(土)22時01分56秒
  私の文は削除しました。ナベ先生は自分で削除するつもりはないようです。
あとは管理人の権限にお任せします。

失礼しました。
 

鯉太郎さん、削除します

 投稿者:宮本  投稿日:2007年12月21日(金)08時32分46秒
編集済
  鯉太郎さん、学会関連のモノ、削除します。必要でしたら今日中に保存しておいて下さい。

久し振りに覗いたら、鯉太郎さんの連絡ボードになっていてビックリ!
使用自体は構わないのですが、このボードは限定150までですので、今回のような使い方では
過去のサイコロ情報が消去されてしまい、困ります。
ボード作成は簡単なので、短期のものでも専用ボードをお作り下さい。
 

管理人のひげさん

 投稿者:鯉太郎  投稿日:2007年11月15日(木)21時45分44秒
  しばし場所を借ります。

迷惑なら消しますので間借りさせてください。
 

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